エーロ・サーリネン (Eero Saarinen)

エーロ・サーリネン (Eero Saarinen)

エーロ・サーリネン (Eero Saarinen)

彼は、フィンランド出身で20世紀にアメリカにおいて活躍した建築家であり、ネオヒューテリスティックなスタイルで有名なインダストリアルデザイナーでした。

生い立ちと歴史

サーリネン は1910年8月20日にフィンランドの建築家Eliel Saarinen(父親)が37歳の誕生日に2人目の妻Louiseとの間に生まれました。
1923年、Eeroが13歳の時に家族で米国に移住。
彼の父親はミシガン州のクランブルック美術大学の学部長で、そこで彫刻と家具デザインを学び卒業しました。
在学中にはチャールズ・・イームズとレイ・イームズ(夫妻)と出会う。

サーリネンは、1929年9月、フランスのパリにあるアカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールで彫刻の研究を始めました。その後、1934年に彼の研究を修了し、イェール大学スクール・オブ・アーキテクチャーで学びました。その後、ヨーロッパと北アフリカを1年間ツアーし、フィンランドの故郷に1年間戻りったそうです。
ツアーの後、父エリエルと建築設計事務所を設立(1937年)父が逝去するまで1950年の13年間の間、数々の設計を手がけました。
1940年に “家具のオーガニックデザイン”コンクールでチャールズ・イームズと一緒に作成したデザインが6部門中2部門で優勝しました。
その翌年には、アメリカの建築技術者として兵役に就いたそうです。
彼が脚光を浴びるようになったのは、「ゲートウェイ・アーチ」と言う、ミズーリ州セントルイス市の国土拡大と開拓を記念して建設された国立公園の記念碑デザインコンペで優勝したのがきっかけでした。サーリネンはまだ無名だった為、コンペ側は、誤って父のエリエルに賞を贈ったという逸話が残っています。
高さ192m,幅192の巨大アーチは建設に難航したが、2年間で建設を終え、今でも西部開拓のシンボルとして親しまれているそうです。
1956年にはブルックリン博物館を設計。
この頃にチューリップチェアの販売を開始。
その後、サーリネンはJohn Deere、IBM、CBSなどの他の主要な米国企業によって招待され、新しい本社やその他の主要な企業ビルを設計しました。しかし、その合理性にもかかわらず、インテリアには、通常、より劇的な掃除階段や、台座シリーズのようなSaarinenによって設計された家具が含まれていました。
1957年にシドニーオペラハウス委員会の審査員を務めていたサーリネンは、第1審査で落選していた、ヨーン・ウツソンのデザインを見直し、最終的にヨーン・ウツソン案を採用したと言われています。
彼は1961年に脳腫瘍の為、亡くなりました。生前、統一性のない作風からしばしば、建築界からは無視されたこともありましたが、今では20世紀のアメリカを代表とする建築家/デザイナーの一人として数えられています。

代表作

建築物
TWAターミナル
ダレス国際空港ターミナル
ゲートウェイ・アーチ

デザイン

ウームチェア
グラスホッパーチェア
チューリップチェア(Tulip Chair)